医療のオウンドメディアに、私が賭け続ける理由 — 個人ブログから500名を取材するまで

大学院への道が、白紙になった
2017年のことです。当時、私は理学療法士として病院の現場で働いていました。臨床の仕事はとても好きでしたが、自分のキャリアを考えたとき、「同じ理学療法士に対して、何か貢献できることはないだろうか」と思うようになりました。ちょうど身近な職場の先輩が大学院に通っていたこともあり、私も進学を検討したのが、そもそものきっかけです。
大学院への入学を決めて、臨床の1〜2年目は、日々の業務と並行して研究に没頭しました。データを集め、計画を練り、着実に前へ進めていたつもりでした。ところが、2年目の終わり、3年目を前にして、思いがけない通達が届きます。グループ内の別の病院への異動です。この異動によって、1〜2年目に元の病院で積み上げたデータは、使えなくなってしまいました。
結果として、研究計画も、大学院への入学も、白紙に戻りました。上司には常に相談を重ねていたにもかかわらず、それより上の人事の判断で、自分のキャリアが一度に崩れてしまった。正直に言えば、大きなショックを受けました。
そのとき、ふと思ったのです。「組織に属していると、自分のキャリアは、うまく築けないのかもしれない」と。この問いが、私が独立を決めた出発点でした。
英語論文の和訳から、ブログは始まった
独立を決めて、最初にやったことは、意外なほど地味なものでした。研究計画のために読み込んできた英語の論文を、和訳して、日々のお役立ち情報としてブログに書くことです。せっかく読んだ知識を、自分の中だけで終わらせるのはもったいない。そう思って、1本ずつ書き始めました。
すぐに反応があったわけではありません。それでも書き続け、記事が約100本たまった頃、ようやく変化が訪れます。Googleのアドセンスや、企業からの案件をいただけるようになり、ブログから収益が生まれたのです。あの瞬間の手応えは、今でもよく覚えています。
いま振り返ると、この100本という数字が効いていたのだと思います。1本や2本では、誰にも見つけてもらえません。書いても読まれず、手応えのないまま次を書く時期が、しばらく続きます。それでも本数が積み上がると、扱うテーマの幅が広がり、検索から人が訪れるようになる。閾値を超えるまでは何も起きていないように見えて、超えた瞬間から急に効き始める。コンテンツには、そういう性質があります。
派手なことは何もしていません。ただ、自分が学んだことを記録し、積み重ねただけです。けれど、その積み重ねが、いつのまにか収益を生む資産に変わっていました。コンテンツは、続けさえすれば、少しずつ価値に変わっていく——このことを、私は自分の手で体験しました。
一人の限界と、「取材」という答え
ブログと企業案件で、副業として成り立つ時期もありました。しかし、活動を続けるうちに、はっきりと一人の限界を感じるようになります。もっと視野を広げたい。うまくいっている人から、直接話を聞きたい。そう思うようになりました。
当時は、まだTwitterが全盛期でした。ところが、私のように理学療法士でありながらブロガーとして成功している人たちは、数万人ものフォロワーを抱える存在で、とても直接コンタクトを取れるような相手ではありませんでした。話を聞きたい人がいるのに、繋がる手段がない。そのもどかしさの中で、私は一つの答えにたどり着きます。
「取材」という形なら、会いに行ける。
「話を聞かせてください」だけでは、相手にとって時間を割く理由がありません。けれど「取材して、記事にします」なら、話は変わります。その人の考えや歩んできた道が、記事という形で世に残る。こちらは学びを得て、相手にも届くものがある。取材は、一方的にお願いする行為ではなく、交換が成り立つ形だった。だからこそ、遠い存在に見えた人にも、会いに行けたのだと思います。
何度でも直接話を聞きたい。繋がれる場があったら嬉しい。その思いから、私は自分のブログに取材記事を書くことを決めました。会いたい人に「取材させてください」とお願いし、その人の話を記事にする。こうして、私のブログは取材メディアになり、いまの「hospass」になりました。毎週月曜の公開を続け、いまでは累計500名を、21の職種にわたって取材しています。
取材が、仲間を連れてきた
取材メディアを続けて、思いがけない財産が生まれました。それは、アクセス数でも収益でもありません。人とのつながりです。
取材で出会った人と、直接話し、深くつながる。すると、その人の中にある「自分も何かに挑戦したい」という思いに触れることがあります。そういう人たちが少しずつ集まって、いまの私たちのコミュニティになりました。
このコミュニティは、ただの交流の場ではありません。私たちは、ここから一緒に働く仲間を見つけてきました。自社の案件を一緒にこなすメンバー。新しい法人を立ち上げて、一緒に事業を進めるパートナー。振り返ると、グループ企業も含めて、これまでの採用で、人材紹介にも広告にも、1円も使ったことがありません。
なぜ、それができたのか。答えははっきりしています。直接、話したからです。その人の人間味、仕事にかける思い、これから描いている未来。取材やコミュニティを通じて、そうしたものが自然と伝わってくる。だから「この人となら、一緒に進めていける」と確信して採用できる。求人票のスキル欄だけでは決して分からない、その人そのものを知ったうえで、仲間になれるのです。
採用のミスマッチは、多くの場合、お互いをよく知らないまま決めることから生まれます。数回の面接で、その人が本当に大切にしているものまで分かるでしょうか。私たちの場合は、順序が逆でした。先に一緒の時間を過ごし、その人が何に熱を持つのかを知ったうえで、仲間になっている。だから、入ってから「思っていたのと違った」が起こりにくい。採用にお金をかけていないというより、お金では買えないものを先に積んでいた、という感覚に近いのだと思います。
医療機関が、オウンドメディアを持つ意味
ここまでは私自身の話ですが、この経験は、医療機関や事業所にとっても他人事ではありません。自院でオウンドメディアを持つことは、いまの時代、いちばん確実な採用ブランディングになるからです。
自院で働く人が、なぜこの仕事を選び、どんなやりがいを感じているのか。その言葉を記録し続けると、2つのことが起きます。1つは、記録が検索に強い資産になること。取材記事は、掲載された本人の名前で検索され、広告のように消えることなく、時間とともに読まれ続けます。もう1つは、応募を考えている人が「この人たちと働きたい」と思えるようになることです。実在する人の物語は、どんなに凝った広告よりも信じられるからです。
ここで、広告との違いをはっきりさせておきたいと思います。求人広告は、お金を払っている間だけ人が来て、止めた瞬間に消えます。毎年、同じ額を払い続けなければ、同じ場所に戻ってしまう。一方、記録は消えません。一度書いた記事は残り、必要としている人に、何年経っても見つけられます。支出は使い切りですが、記録は積み上がる。この差は、3年、5年と経つほど大きく開いていきます。
では、何を書けばいいのか。難しいテーマは要りません。そこで働く人のことを書けば、それで十分です。なぜこの仕事を選んだのか。入職して驚いたことは何か。1日をどんなふうに過ごしているのか。忙しい日に、何を支えにしているのか。どれも求人票には決して載らない、けれど働く場所を探している人が、いちばん知りたいことばかりです。
頻度も、毎週である必要はありません。月に1本でも、1年で12本の記録になります。書き手も、専任の広報担当を置く必要はなく、話を聞いてまとめる人が1人いれば始められます。大切なのは、量や速さではなく、止めないこと。私自身、毎週月曜の公開を守り続けたことだけが、500名という積み重ねになりました。
そして、これはさらに深いところへつながります。私たちがコミュニティから仲間を採用できたのは、その人の人間味や思いが伝わったからでした。同じように、自院で働く人の姿を発信し続ければ、あなたの組織に本当に合う人が、自然と引き寄せられてくる。派手な一発ではなく、地道な記録の積み重ねが、いちばん確実に「合う人」とのつながりを生みます。
明日、できること
とはいえ、いきなり大がかりなメディアを立ち上げる必要はありません。私も、始まりはただの1本の記事でした。
明日、できることは、たった1つです。自院のスタッフの誰か1人に、「なぜこの仕事を選んだんですか」と聞いてみること。そして、その答えを、短くていいので記録してみることです。うまく書こうとしなくていい。その人の言葉を、そのまま残すだけでいい。それが、あなたの組織のオウンドメディアの、記念すべき1本目になります。
1本では、何も変わらないように見えるかもしれません。でも、私の500本も、最初の1本から始まりました。そして、その積み重ねの先に、記事という資産だけでなく、一緒に歩む仲間との出会いまでありました。記録は、始めなければ何も積み上がらず、始めさえすれば、続けるほどに価値へと変わっていきます。
もし、その積み重ねを一緒に設計してほしいと思ったら、コンテンツ支援のご相談からお声がけください。あなたの組織にしかない物語を、消えない資産に変えるお手伝いをします。