適性検査は、評価ではなく理解のために使う

「合わない」で止まっている職場
チーム内の関係がうまくいっていないとき、よく出てくる言葉があります。「あの人とは合わないので」。
これは説明のようで、実は何も説明していません。合わない、で終わってしまうと、次に打つ手がない。性格の問題として片づけられ、配置を変えるか、どちらかが辞めるまで続きます。
管理者としても、扱いに困る領域だと思います。業務の話なら指摘できますが、相性の話は指摘のしようがない。「もっと仲良くしてください」とは言えません。
医療・介護では、これが特に扱いにくいと感じます。理由が3つあります。
多職種で働いているので、そもそも仕事の進め方が職種ごとに違います。看護師とリハビリ職と事務職では、優先順位の付け方も、記録の粒度も、判断の速度も揃っていない。職種の違いが、個人の相性の問題に見えてしまうことがあります。
専門職の集まりであることも効いています。それぞれが自分の判断に責任を持って仕事をしているので、進め方の違いが「専門性への疑い」に聞こえやすい。指摘したつもりが、否定として受け取られる場面が起きます。
そしてシフト制です。合わない相手と話す機会そのものが少ない。誤解が生まれても、解ける場がないまま次のシフトが来ます。時間が解決してくれない環境だと言えます。
けれど、「合わない」の中身は分解できます。片方は決めてから動きたい人で、もう片方は動きながら考える人。片方は事前の共有を重視して、もう片方は結果で示したい。相性の問題に見えていたものが、進め方の違いだったということはよくあります。
そして、進め方の違いなら調整できます。「この人には先に段取りを共有する」「この人には細かく確認しない」。個人を変えなくても、噛み合わせは変えられる。
適性検査を入れる意味は、ここにあると考えています。「合わない」を、扱える形に翻訳する。
評価に使った瞬間、機能しなくなる
ただ、導入すればうまくいくものではありません。使い方を間違えると、レッテルを増やすだけになります。
踏んではいけない線が3つあります。
1つ目は、人事評価への流用です。検査結果が評価や処遇に影響すると分かった瞬間、次から誰も正直に答えません。「良く見える答え」を選ぶようになる。そうなると、集まるのは実態ではなく、望ましいとされる姿の集合です。使えないデータのために時間だけがかかります。
2つ目は、結果を本人に返さないことです。管理者だけが結果を持っていて、本人は自分が何と判定されたか知らない。この状態は健全ではありません。本人が知らないところで扱いが決まっていることになるからです。そして返さない限り、本人が自分で調整することもできません。
3つ目は、レッテルとして固定することです。「あの人はそういうタイプだから」で話が終わるなら、「合わない」で止まっていたときと何も変わっていません。むしろ、根拠らしきものが付いたぶん、決めつけが強くなる可能性さえあります。
この3つに共通しているのは、検査結果を「その人がどういう人か」の判定として使っていることです。そうではなく、関わり方を考えるための材料として使う。同じ結果でも、扱いがまったく変わります。
もうひとつ、失敗としてよくあるのが一度やって終わりにすることです。結果を配って、その場で少し盛り上がって、それきり。日々の判断で使われなければ、検査は診断で終わります。
使われる形にするには、持ち出す場面を決めておくのが確実です。新しくチームを組むとき、配置を考えるとき、うまくいっていない関係を整理するとき。「あの検査でこう出ていたね」と持ち出せる場面があるかどうかで、定着するかが決まります。
見えるのは、個人ではなくチームの穴
実際に導入して、いちばん役に立ったのは個人の理解ではありませんでした。
チームとして何が足りていないかが、はっきりする。これがいちばん大きい。
たとえば、慎重に確認しながら進める人ばかりのチームがあったとします。ミスは少ない。ただ、新しいことが始まらない。誰も最初の一歩を踏み出さないので、改善の提案が出てこない。この状態は、個人を見ていても分かりません。並べて初めて、偏りとして見えます。
逆に、動きの速い人ばかりのチームなら、決めるのは速いが取りこぼしが増えます。誰かが後ろで拾っている前提の動き方をしていて、その誰かがいない。
現場に即した形で言えば、こうなります。異論を言う人がいないチームでは、決まったことがそのまま通ります。それは速いのですが、危うい判断も同じ速さで通る。逆に慎重な人ばかりのチームでは、決めるのに時間がかかり、機を逃します。どちらも真面目に働いた結果です。
「うちのチームには、こういう役割の人がいない」——この形で見えると、対処が具体になります。足りない部分を誰かに担ってもらうのか、採用で埋めるのか、仕組みで補うのか。選択肢が出てくる。
そして、役割は性格と一致しなくても構いません。慎重なタイプの人が「今回は反対意見を言う係」を担ってもいい。役割として決めておけば、性格を変えなくても機能します。
そして重要なのは、これが誰かの欠点の話ではないことです。慎重さも速さも、それ自体は長所です。偏っていることが問題なだけで、個人を責める話にはなりません。この点が、評価との決定的な違いだと思っています。
本人が知ると、自分で調整できる
結果を本人に返すと、もうひとつのことが起きます。自分で気をつけられるようになる。
「自分は確認を求めすぎる傾向がある」と分かっていれば、相手が急いでいる場面で一歩引ける。「自分は決めるのが速い」と分かっていれば、周りが追いついているか確認する癖がつく。指摘されて直すのではなく、自分で調整する。
この違いは大きいと思います。人から言われた改善は、言われるたびに直します。自分で気づいた癖は、自分で見張れる。
そして、相手のことが分かっていると、伝え方も変わります。同じ内容でも、誰がいつ言うかで伝わり方は変わりますが、相手がどう受け取りやすいかを知っていれば、その調整もできる。先に結論を言ったほうがいい人と、背景から説明したほうがいい人がいます。
ただし、ここでも注意が要ります。「この人はこういうタイプだから、こう伝えよう」が固定されると、また決めつけに戻ります。人は場面によっても変わりますし、経験とともに変わります。検査結果は、その時点の傾向にすぎません。
採用に持ち込むときの線引き
適性検査は、採用の場面でも使えます。チームに足りていない部分が分かっていれば、採用で何を求めるかも具体になるからです。
「明るくて協調性のある人」ではなく、「決めて動ける人」「全体を見て段取りを組める人」。求める人物像が、いまのチームから逆算される。そして候補者にも、期待していることをはっきり伝えられます。入ってから「思っていたのと違う」が減るのは、この段階で言葉になっているからです。
ただし、採用選考で使うときには線があります。適性や能力に関係のない事項を把握する目的で使ってはいけないとされています。家庭の状況や思想信条にあたるようなことを、検査という形で聞き出すのは認められません。
もうひとつ。検査だけで合否を決めないことです。傾向は分かっても、その人が何をしてきたか、何をしたいかは分かりません。あくまで面接の材料として使う。ここを外すと、選考の判断が機械の結果に置き換わってしまいます。
そして、何を成果とするかが決まっていなければ、何が足りないかも決まりません。評価の基準が言語化されていないまま検査を入れても、結果を読む物差しがない状態になります。順序としては、そちらが先です。
明日、できること
いきなり検査を導入する必要はありません。
明日できることは、たった1つです。自分のチームのメンバーを思い浮かべて、「最初に手を挙げるのは誰か」を考えてみてください。
すぐに何人か浮かぶなら、そのタイプは足りています。誰も浮かばないなら、そこが穴です。同じ要領で、「細かく確認するのは誰か」「異論を言うのは誰か」「場を和ませるのは誰か」と並べてみる。検査がなくても、偏りはかなり見えます。
同じ人の名前ばかり出てくる場合も、注意が要ります。その人が抜けたら、複数の穴が同時に開くということだからです。
そのうえで検査を入れるなら、最初に決めておくことがあります。結果を評価には使わないこと、全員に返すこと、この2つを先に伝えてから実施してください。後から言っても信用されません。
そして結果が出たら、個人の話から入らないこと。「チームとして、この部分が薄いですね」から始める。個人の傾向はその後です。入口を間違えると、そこから先はずっと個人の品定めに聞こえます。
検査そのものの選び方も、難しく考えなくて構いません。細かい分類の精度より、結果が読みやすいことのほうが実務では効きます。何十項目もの数値が並ぶものは、正確でも使われません。管理者が説明できる粒度であることが条件になります。
そして全員に一度やったら、次は新しく入った人だけで十分です。毎年やり直す必要はありません。傾向は大きくは変わりませんし、繰り返すほど「またか」になります。
もし、チームの構成を見ながら組織づくりを進めたい場合は、組織づくりのご相談からお声がけください。