スタッフが「評価されていない」と感じるとき、組織で起きていること

どちらの言い分も、本当です
面談でよく聞く言葉があります。「自分なりに頑張っているのに、見てもらえていない気がする」。
一方、経営側や管理者からはこう聞きます。「評価したいのはやまやまだが、成果に結びついていないものを評価するわけにはいかない」。
この2つは、どちらも本当です。スタッフは実際に努力していますし、経営側の原則も正しい。成果と無関係に評価すれば、評価そのものが意味を失います。
問題は、どちらかを間違いにしてしまうことです。「スタッフが甘い」と切り捨てれば不満は地下に潜りますし、「評価してあげないと」と情で加点すれば、真面目にやっている人ほど納得しなくなる。
そして、この状態のまま人事評価制度を導入すると、たいてい失敗します。噛み合っていないものを、制度は噛み合わせてくれないからです。むしろ「評価されない」という感覚が、制度によって公式なものになってしまう。
そして、このズレを放置すると、静かな変化が起きます。
頑張っても評価されないと学習した人は、頑張らなくなるのではありません。「言われたことだけをやる」ようになります。手を挙げなくなり、新しい役割を引き受けなくなり、改善の提案をしなくなる。ただし、決められた仕事はきちんとやる。
だから表面上は問題なく回っているように見えます。遅刻もミスもない。けれど組織は前に進まない。「最近、誰も何も言ってこない」という状態は、たいていこの段階に入っています。
ここで見るべきなのは、評価の方法ではなく、その手前にあるズレだと考えています。
頑張りは、本人にしか見えていない
まず押さえたいのは、努力と成果は別のものだということです。
夜勤明けに残って記録を整えた。新人の相談に30分つき合った。ご家族の対応で神経をすり減らした。本人にとっては、どれも濃い記憶です。その日の疲労も、気を使った感覚も、はっきり残っている。
けれど、それが外から見えているとは限りません。記録が整っていることには気づいても、誰が残ったかまでは分からない。新人が落ち着いていることには気づいても、誰が話を聞いたかまでは伝わらない。
つまり、評価されていないのではなく、観測されていないことがあります。
これは管理者が冷たいという話ではありません。シフト制の職場では、そもそも同じ時間に居合わせないのが普通です。日勤の管理者が、夜勤帯で起きたことを直接見ることはできない。多職種であればなおさらで、他職種の仕事の中身までは分からない。
見えていないものは、評価できません。そしてスタッフの側からは、見えていないのか、見たうえで評価されていないのかが区別できない。ここで「大事にされていない」という解釈が生まれます。
管理者の側も、実は苦しい立場にいます。十分に見ていないまま、評価を書かなければならない。面談の時期になって手が止まる、という話はよく聞きます。書けることが思い浮かばない。
そうなると、印象に残っている場面から書くしかありません。結果として、目立つ人や声の大きい人、たまたま管理者と同じシフトが多い人が有利になります。本人にその気がなくても、そうなる。これは管理者の怠慢ではなく、観測の仕組みがないことの結果です。
方向がずれた努力は、量では届かない
観測の問題を差し引いても、もうひとつのズレが残ります。努力の方向です。
たとえば、自分の担当を完璧に仕上げようとして、ひとりで抱え込む人がいます。本人はまちがいなく努力しています。ただ、組織として求めているのが「困ったときに相談が上がってくるチーム」だとしたら、その努力は評価に届きません。むしろ抱え込みとして問題視されることもある。
本人からすれば、理不尽です。手を抜いていないどころか、人より時間をかけている。それなのに評価されない。
ここで起きているのは、努力の否定ではなく、方向のズレです。そして厄介なのは、本人にはそれが見えないこと。何を良い仕事とするかの基準を知らなければ、自分の努力がずれているかどうか判断のしようがありません。
似た例は他にもあります。手早く終わらせることを良しとしている人と、次の人が困らない状態で引き継ぐことを良しとしている人。どちらも真面目ですが、評価の物差しが違えば結果が逆になります。
だから「もっと頑張ってほしい」という言葉は、この状況では解になりません。量を増やしても、方向が違えば届かない。必要なのは、方向を示すことのほうです。
そして方向は、言わなければ伝わりません。「見ていれば分かるはず」「察してほしい」が通用するのは、全員が同じ時間に同じ場所にいる職場だけです。シフトが分かれ、職種が分かれている環境では、明示しない基準は存在しないのと同じになります。
「成果=数字」にすると、現場が壊れる
ここで、多くの組織が近道を選びます。成果を数値化しよう、という発想です。
気持ちは分かります。数字なら誰の目にも見えますし、公平に見える。ただ、医療・介護の現場でこれをやると、測れるものしかやらなくなるという副作用が出ます。
記録の件数は増えるが、患者さんへの声かけは減る。研修の受講数は上がるが、後輩を教える時間は削られる。数字にできる仕事のほうが、数字にできない仕事より価値が高いというメッセージを、意図せず出してしまうからです。
そもそも、この仕事の成果は数字になりにくい。患者さんが良くなるかどうかには本人の要因も大きく関わりますし、丁寧な説明が信頼につながったかどうかは、どこにも記録されません。数字にできないものを「評価しない」と決めた瞬間、現場のいちばん大事な部分が価値を失います。
つまり、「成果に紐づかないものは評価できない」は正しいけれど、「成果=数字」は間違いです。ここを混同すると、正しい原則から間違った制度が生まれます。
何を成果とするかを決めるのが、管理者の仕事
では、どうするか。
何を成果とするかを、自分たちで定義することです。これは制度の話ではなく、言葉の話です。
たとえば新人教育なら、「独り立ちまでの期間を短くする」と定義することもできますし、「困ったときに聞ける相手がいる状態をつくる」と定義することもできます。前者を成果とすれば、教える側は早く手を離そうとします。後者を成果とすれば、関わり続けようとします。同じ職場でも、定義しだいで行動が変わる。
そして、この定義は思いつきでは決められません。組織が目指す場所から逆算されるものだからです。何を大事にしている組織なのかが決まっていないと、何を良い仕事とするかも決まらない。理念やMVVが判断の上流にあるというのは、こういう意味です。
順序としては、定義する、共有する、観測する。この3つが先にあって、制度はいちばん最後です。
定義は、良い仕事とは何かを言葉にすること。抽象的な理念ではなく、判断できる粒度まで落とす必要があります。
共有は、それをスタッフが使える形で伝えること。一度言って終わりではなく、面談や日々のやり取りで繰り返し出てくる状態にする。
観測は、見えないものが見えるようにする工夫です。ここがいちばん手薄になりがちですが、実は難しいことをする必要はありません。面談で毎回同じことを聞くと決めておく。他職種の管理者から見た印象を聞く機会をつくる。申し送りに一言だけ所感を残せる欄を足す。目的は情報を集めることではなく、「見ていない」という状態を減らすことです。
ここまで整って初めて、評価が成り立ちます。
当社が組織づくりの支援に入るときも、人事評価制度の話は後半です。先に面談の型をつくり、仕事の流れを整理し、誰が何を担っているかを見える状態にする。土台がないまま制度だけ入れても、運用されずに形骸化するからです。
なお、この種のズレは静かに人を減らします。理由として言葉にされないまま、納得できない状態が積み重なる。離職の本当の理由が見えにくいのは、こうした部分が表に出ないからでもあります。
明日、できること
大がかりな制度づくりから始める必要はありません。
明日できることは、たった1つです。スタッフに「いま、いちばん力を入れている仕事は何ですか」と聞いてみてください。
評価面談である必要はありません。立ち話でも構いません。大事なのは、本人が何に力を注いでいるつもりなのかを知ることです。
そして、その答えと、あなたが評価したいと思っていることを並べてみてください。一致していれば、あとは見えるようにするだけです。ずれていたら、そこが標準を合わせる出発点になります。
ずれていた場合も、いきなり修正しようとしないほうがいいと思います。まず「そこに力を入れていたんですね」と受け止める。否定から入ると、次から本当のことを言ってもらえなくなります。そのうえで、「うちでは、こういう状態を大事にしています」と伝える。方向の話は、そこからです。
評価は、最後の工程です。何を良い仕事とするかが決まっていて、それが伝わっていて、見える状態になっている。そこまで来て初めて、評価は納得されるものになります。
逆に言えば、制度が立派でなくても、この3つが揃っていれば不満はかなり減ります。「何を大事にしているか分かっている」「それを自分もやっている」「見てもらえている」。この感覚があるかどうかのほうが、評価シートの精緻さより効きます。
もし、何を成果とするかの言語化や、評価の土台づくりを一緒に考えたい場合は、組織づくりのご相談からお声がけください。